慢性疾患の薬を飲むということ

僕は一応社会不安障害双極性障害という精神疾患の診断がついている。

精神疾患は基本的に慢性だ。長い間、時には人生を通して付き合っていくことになると思う。

精神科に通い始めてまもない頃、「薬ってどのくらいのスパンで飲むんですか」と医師に聞いたら「少なくとも数年は飲むことになるかな」と言われて半ば絶望したのをよく覚えている。

治療は基本的に診察と服薬だ。僕の場合調子がいい時は2週間に1回、調子が悪い時は1週間に1回のペースで精神科に通っている。医師に前回の診察からの経過を話す。医師はそれを記録し、今までの経過と統合して現在の調子を推定し、処方する薬を増減したり場合によっては入院を検討したりする。

診察時間は調子がいい時5分、調子が悪い時は30分以上だ。調子が悪いと訴える時ほど綿密に経過を聞き出して慎重な判断をする必要があるからだろう。

とはいえ、診察時間は1-2週間というスパンで見ればごく短い。多くの割合を占めているのは毎日の服薬である。

服薬という行為と1年以上向き合ってきて色々思うことがあるので書いておきたい。


慢性疾患の服薬は簡単なことではない。経験したことがない人には想像が難しいかもしれない。事実、医学部で服薬コンプライアンスについて扱った授業のあと、「薬くらい飲めよ」と談笑していた人を見て強い恐怖を覚えたことがある。僕は定期的に薬が飲めなくなって病状が悪化するからである。

単に毎日同じ行動を忘れずに繰り返すということがまず難しい。それが簡単だったら受験生はメキメキ実力がつくし女性はみんなダイエットに成功するし男性はみんな筋トレで良いボディを手に入れられる。継続は力なりというが、その言葉がよく使われるほど継続というのは難しい。

みんな風邪を引けば風邪薬を飲むし頭痛がすれば頭痛薬を飲む。「今現在強い苦痛に見舞われていて」「薬を飲むことで短期的に苦痛の緩和が見込める」からである。しかし慢性疾患の場合は事情が異なる。薬を飲んでも病気が短期的によくなったりはしない。あくまで病状のコントロールがメインだからだ。

人間は目先の快楽だけを追い求めてなかなか未来に思いを馳せることができない。短期的に命に関わる薬や短期的に現在の苦痛を緩和する薬はみんな挙って飲むが将来の悪化を防ぐための薬などはなかなか飲まれない。精神疾患でなくても例えば降圧剤などだ。

ここからは僕の個人的経験になるが、向精神薬を飲んでいる自分に対するセルフスティグマが苦しくて飲めないことも多々ある。僕は毎日就寝前に4種類8錠の薬を処方されているが夜寝る前に薬の紙袋を開いてバラバラと薬のシートを出して一つ一つ出す時、どうしようもなく遣る瀬無い気持ちに襲われる。運命を呪う。どうして僕だけが、と。それを誰も分かってくれない孤独が更なる遣る瀬無さを生む。

調子が悪い時、僕は明示的自傷行為ではなくセルフネグレクトに走る傾向にある。薬も飲まなくなって精神科の予約もサボって何もしなくなる。去年の夏がそうだった。ただ時が過ぎていくのを眺めるだけ。食事もしない、外出もしない、家事もしない、かといって睡眠もしない。未来のことを考えられなくなる。

高校時代、大阪の西成区あいりん地区でのボランティアを体験する高校の任意参加行事に行った時、「貧困はその人から未来を考える能力を奪う、刹那的になる」という話をされた。彼らはこんな感じだったのかな、とふと思いながら去年の夏を振り返った。


人間には他人の苦しみは分からない。言われなければ存在すら認識できない。傲慢な生き物だと思う。

でも言語化すれば存在を認識してもらうことは可能だと思っている。だからこの記事を書いている。

この記事を読んだあなたが、あなたの周りで病気と闘いながら薬を飲んでいる人に少し優しい気持ちを持っていただければこれ以上の幸せはありません。